僕を変えてくれた読書と日常ログ。

おすすめ本と生活の記録

旅に出る前に地図を読むということ「本を読む本」

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本を読む本 (講談社学術文庫)

本を読む本 (講談社学術文庫)

 

 内容(「BOOK」データベースより)
本書は、1940年米国で刊行されて以来、世界各国で翻訳され読みつがれてきた。読むに値する良書とは何か、読書の本来の意味とは何かを考え、知的かつ実際的な読書の技術をわかりやすく解説している。初級読書に始まり、点検読書や分析読書をへて、最終レベルにいたるまでの具体的な方法を示し、読者を積極的な読書へと導く。単なる読書技術にとどまることなく、自らを高めるための最高の手引書。 

 

 よい本というのは読み進めるうちになにか新しい発見があるものだけど、本書には大きな発見が2つあった。

  まず1つめは、本を読むのにも技術が必要だということ。このことこそが本書の存在意義なのだけど、僕はこれまで読書という行為を技術として考えたことはなかった。なんとなく気になった本を手にとり、1ページ目から順に読んでいく。読み通す本もあれば、いつの間にか投げ出してしまう本もある。僕にとって読書とはそういうものだった。

 ところが、そんな風にいきなり1ページ目から読み始めるのは読書をむつかしいものにしてしまうのだと本書は主張する。まずは「点検読書」をするべきなのだと。これが僕が本書で得た2つめの発見だった。

読書の第二レベルは、「点検読書」である。時間に重点をおくことが、第二レベルの特徴である。読み手は、一定の時間内に割り当てられた分訟を読むことを要求される。十五分でこの本を読めと言われることもあるだろうし、この倍の量が制附されることもあるだろう。点検読書の目的は、与えられた時間内にできるだ妙内容をしっかり把握することにあると言えよう。しかも、たいていその時間はかなり短くて、内容を完全に読みとる余裕はないの
がふつうである。

 

点検読書については、あとの4意で述べるが、ここでひとこと言っておきたいのは、ほとんどの人はこの読書の値打ちに気づいていないということである。すぐれた読書家でさえもこのことを認識していない。誰でも第一ページから読みはじめるが、目次はまったく無視しているのだ。

 

 本書は読書の方法を4つのレベルに分けている。「点検読書」は第2レベルの読み方で、もくじや見出しなどに目を通し概要をまず掴むことを目的とした読書法。その方法は次のようなものだ。

一、表題や序文を見ること。
二、本の構造を知るために目次を調べる。
三、索引を調べる。
四、カバーに書いてあるうたい文句を読む。

 

 大まかにはこのような方法で本の概要をざっと把握してしまう。
 どこにどんな内容が書かれているのかをあらかじめ知っておこうというわけだ。こうすることで、次の「分析読書」がずいぶんと楽なものになる。

 第3レベルの「分析読書」は、1ページ目から順に読んでいく通常の読み方にあたる。つまり、分析読書はその下のレベルの点検読書ができてからとりかかるべき高度な読書技術だということだ。

 実際、本書を読むうえでも点検読書は絶大な力を発揮した。というのも、本書は1940年代にアメリカで初版が発行され、依頼ずっと改訂をつづけながら多くの人々に読まれてきた読書術の定番となっている本なのだけど、その古典的な文体や記述のしかたのせいで独特のとっつきにくさがあり、正直なところ僕は何度か読み通すことを諦めかけていた。それでも、「点検読書」の章まで読み進めたことで、まさに本書を点検読書することができるようになり、その全容を掴むことができるようになった。そのあとは簡単。話がどこへ向かって進んでいるのかわかっているので、難解な印象を与えるような文章にも惑わされなくなった。
 旅に出る前に地図を読むことを知った。言ってしまえば、それだけのことかもしれない。しかし、ものごとは単純であるほど気づきにくく、また大きな可能性をもっている。

 分析読書のあと、本書は最後の第4レベル「シントピカル読書」へとつづく。

シントピカル読書は比較読書法と呼ぶこともできよう。シントピカルに読むということは、一冊だけではなく、一つの主題について何冊もの本を相互に関迎づけて読むことである。

 
 ある1つのテーマについて複数の本を読み比べることでそれぞれの本の立ち位置を明確にし、そこから浮かび上がる新たなメッセージに注目するこの読書法は学術論文などの研究に役立つだろう。
 実際にそこまでする機会はなくても、メタな視点で複数の本を扱うことでその本自体には書かれていない仮説や結論を導けるということを覚えておけば過去に読んだ本やこれから読む本を結びつけて考える思考回路が開ける。これはより深い読書体験へと繋がっていくものだ。

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